• レビュー
  • 2017/2/25 05:00:15

"落語を食う"<その三>『しし鍋/二番煎じ』②

先週の記事、飛騨神岡の金毘羅宵祭の今日はいよいよ本番、厚着してお出かけください!

今週は二番煎じの宴会シーンで出てくる、しし鍋。ぼたん鍋、なんてもいいます。たいそう美味しいとは聞きますが、実はまだ食べたことがありません。この噺のなかでもこれを食べるシーンは一番のクライマックスで、熱々の肉をハフハフ口に運ぶさまは落語でしか味わえない面白さと思います。やはり食べてみない事には始まらない、のですが先ずどんなものなのか考えてみます。
【鍋に歴史あり】
今でこそスーパーには色々な鍋のスープのもとが売られていますが、江戸でそんなはずはありません。江戸で出てくるお酒のつまみは江戸湾で取れた魚やうなぎが始まりでした。その日取れたものを煮たり焼いたりしたものを簡単な設備で出せるものだけ。何の肉か以前に鍋ごとなんて夢のまた夢の料理なのです。

そこに「いも酒屋」とよばれる芋の煮ころばしとお酒を出す、現在の居酒屋のベースとなるお店が流行りだします。それでもまだ芋なのでイノシシなんてはるか彼方の状態。

次に出てくるのが「鍋焼」。この段階で画期的なのは、調理器具の鍋が食器になったということ。これは熱いまま冷めないとか、洗い物が少ないとか機能的な理由と、直火に耐える高価だった鍋が少し安くなってきたという技術的な理由からと思われます。ただし、この頃はまだ身分制度が徹底していたので、お膳も鍋もそれぞれひとりひとり。大きい鍋が技術的に作れなかったこともあるかもしれません。大勢で鍋を囲む時代はまだ先です。

そのタブーを壊すのが、これも落語によく出てくる吉原の住人たち。「小鍋立」という花魁と客が二人で鍋をつつくスタイルが親密さを示すものとして広まりました。吉原の文化や技術は家庭に色々と取り入れられますが、この小鍋立も例外ではなく、現在の鍋の始まりのようです。仲良し家族団らんのシンボルの鍋が吉原発だったのは複雑ですが。
【肉食は言い訳の歴史】
そもそも肉を食べていなかった日本でいかにして豚やイノシシにたどり着いたか。調べてみると鍋の歴史よりも長く複雑で、誤解を恐れずにざっくり説明すると、肉は禁止だが食べたら美味しいのは何となく分かっていた、あとはそれをどう世間と自分に言い訳・正当化するかに時間がかかったようです。鍋の歴史は時代や用途に応じて発展してきたので健康で正常なスピードですが、肉の言い訳の歴史は頭の固いやつとか味のわからないやつが邪魔してそうそうリズム良くは進まないのは理解できます。

そもそも肉は禁止でもがんやキジなど野鳥は食べていたようです。それがやはり旨くて食べ過ぎると数が少なくなり、生産管理しやすい鶏に手を出します。このころに鳥類とか哺乳類の区別はしてなかったと思うので、セミベジタリアンとは関係ないでしょう。道具や解体技術の都合で大きい動物は手に負えなかったのだと思います。うさぎたたぬきなんかは実は食べてたかもしれません。

鶏は野鳥よりも柔らかく脂ものってるので格段に美味しい。そうなるともう止まらせん。いかにしてタブーをうちやぶるか。そこで頭をひねり、肉は「薬」だ!という画期的な言い訳を開発します。
この噺でも酒を薬と偽るので、当時の薬とは今と違ってとても都合のいい言葉だったのかもしれません。それとも少し前にニュースになってた医療用麻薬みたいな感じだったのでしょうか。いずれにせよ、よけい気になるじゃないか!感は増すばかり。

次の言い訳は「花」と言い張る方法。
鹿を紅葉、イノシシを牡丹、花札から来た言葉ではありますが、ぼたん鍋はやはり肉をきれいに花のように並べたりと「肉じゃない肉じゃない」と思い込むためのうまい言い訳が最初だったのでは。そういう店の看板には実際に紅葉や牡丹の花が描かれていたそうです。そういうことで安心して食べれたお坊さんも多かったとか。

さらにさらに、「魚」ってことにしてしまう荒っぽいやり方も。
江戸の人々に魚は重要なタンパク源でしたが、鯨も食べられていました。鯨は魚ではないのですが、字に魚がはいっているくらいなので、やはり魚と同じように食べていい扱いだったのでしょう。そこで当時の天才コピーライターがイノシシを「山くじら」と名付け、こころおきなく食べる機会を作りました。

薬だの花だの魚だのと、無理無理な言い訳を考えながら発展してきた江戸の肉食の歴史は落語を超える面白さ。そこまでして食べたいのか!とちょっと思いますが、すべては肉が旨すぎるのが悪いのです。

【二番煎じのしし鍋】

噺ではぼたん鍋ではなくしし鍋。背中にこっそりしょってきた鍋ではじめるくらいなので、きれいに花のように並べたりしない、ラフなものだろう。メインのイノシシのほか、野菜などもそれほどないはず。ネギで肉をはさんでごまかす場面もあるので、ネギだけあるくらいか。それぞれのつけダレなんかも食器が増えるので無いはずで直接鍋のものをそのままハフハフして食べるのだろう。つまり割り下に肉とネギのみのシンプルな構成。
ただし酒は呑んでるし寒いので、高カロリーな肉はいくらでも食べれる状況。それほど大きくない鍋に肉とネギがあふれているのがこの噺のしし鍋だったのでなかろうか。

RK-32(本文用)

 

Text : masaei

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