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  • 2017/1/6 05:00:27

築地「場外」市場はのこります(Report 33)『新春に魚河岸のルーツをたどって…①<日本橋>』

初詣にでかけた千葉県の成田山新勝寺に「魚がし」と書かれた巨大な提灯がありました。見上げた私は、「なんで海辺でもない成田のお寺に“魚河岸”なの?」。

“魚河岸”とは読んで字のごとくの「川岸にある魚市場」というだけでは、なさそうです。

築地場外市場の2017年イチ推しスポットは、オープンしたばかりの商業施設、その名も「築地魚河岸」。そこで、魚河岸のルーツをめぐって、ちょっぴりブラタモリしてみました。

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三が日だけで関東一円から300万人もの参拝者を集める成田山新勝寺。

本堂に向かう中央付近の仁王門に吊るされた「魚がし」の赤い提灯。メッチャ目立ちます。

砲金(青銅の一種)製で、重さは約800kg!

1968年に、東京・築地の旦那衆が奉納したもの。

 

巨大提灯は、江戸時代から続く魚河岸講ならではの奉納品。「講」とは、同じ信仰をもつ人たちが集って、いっしょに寺社を参拝することで、その道中も、またお楽しみだったとか。花のお江戸では成田詣でが大流行。

 

江戸時代の「魚河岸」は、「吉原遊郭」「歌舞伎小屋」とともに「一日千両が動く」と川柳にうたわれた、ものすご~く活気のあるところ。

勢いのある墨文字で、わざとくずして書かれた「魚がし」の文字には、「この紋所が目に入らんかー」というような、魚河岸で生活する人たちの気風を感じます。

そんな栄華を誇る「魚河岸」発祥の地は日本橋です。

 

真上を高速道路が走る、ちょいと寂しいお江戸の象徴「日本橋」

真上を高速道路が走る、ちょいと寂しいお江戸の象徴「日本橋」

 

日本橋の魚河岸の始まりは、江戸時代の初期(1603年の開府の頃)に徳川家康が、大阪(佃!)から漁師を集めて江戸湾内での漁業特権を与えたことにさかのぼります。将軍や諸大名へ調達した残りを、水揚げした川岸で売りに出したところから大繁盛。江戸湾は魚影豊かな海だったことがわかります。

 

上は日本橋の魚河岸の写真(史跡の看板より)。下は現在のようす

上は日本橋の魚河岸の写真(史跡の看板より)。下は現在のようす

 

江戸の運搬の花形は船。市中に発達した水路(川)に沿って物資上げ下ろしをする場所が「河岸(かし)」と呼ばれるように。おとなりの京橋には野菜をあつかう大根河岸があったそう。

しかし、「魚河岸」となると、発祥の地である日本橋川沿いの本船町、小田原町、按針町(現在の日本橋室町あたり)のことをさしたようです。そして、築地が、その呼び名を引き継ぎます。どうも「魚河岸」は、モノを売り買いする場所をさすコトバではなさそう。

 

江戸っ子たちの威勢のいい取引がたえず飛び交う“盛り上がりの場”。お江戸の中心にある活気あふれる華やかな雰囲気を、あこがれと敬意と、そして自負をこめて「魚河岸」と呼んだのだと思います。

昭和に築地に移転するまで、ここで300年もの歴史を刻みます。

 

乙姫広場と表示があるので、祀られているのは乙姫さまかと…

乙姫広場と表示があるので、祀られているのは乙姫さまかと…

 

橋のたもとに「日本橋魚市場発祥の地」(1954年建立)の牌があります。

石碑に刻まれているのは文学者の久保田万太郎さんの言葉

「…魚河岸は江戸及び東京に於ける屈指の問屋街としてまた江戸任侠精神発祥の地として、 よく全国的の羨望信頼を克ちえつゝ…」

江戸任侠精神発祥の地!てやんでぇ宵越しの金なんかもたねぇ、みたいなスピリットでしょうか。「魚河岸!」と耳にしたときに感じる粋なカッコよさは、こんなところからきてるんですね。

  

瀟洒なオフィスビルが並ぶ日本橋のメイン通りには、魚河岸から発展した江戸最大の商業地をいまに伝える海苔、うなぎ、海産物屋の看板が並びます。創業200年などザラ…

瀟洒なオフィスビルが並ぶ日本橋のメイン通りには、魚河岸から発展した江戸最大の商業地をいまに伝える海苔、うなぎ、海産物屋の看板が並びます。創業200年などザラ…

 

大正12年(1923年)の関東大震災によって、広重の浮世絵などでおなじみのお江戸日本橋の風情はすべて失われてしまいます。

政府の新しい都市計画に基づいて、魚河岸は築地海軍技術研究所用地に移転することになります。昭和10年(1935年)に築地市場開場。(移転には、いろんな調整が必要だったようです)

 

魚河岸は、築地時代へ。

 

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「ん?」

築地に戻ったわたしを待っていたのは、案内看板の「小田原町」の旧地名。

日本橋の旧地名にも「小田原」、ありましたよね。

カマボコで有名な神奈川の観光地とも、つながるのかな?

しかも、手にしていた築地場外市場の公式パンフに掲載されている写真によると、1872年には築地川南支川には河岸のような風景が……。

政府の都市計画よりずっとはやく、築地の魚河岸はスタートしていたのかな?

 

次回は築地の「旧・小田原町」をめぐってみます。

〇〇〇〇〇

新春からブラリ歴史さんぽに。買い物にしか興味のなかったわたしの背中を押した一冊の本があります。本願寺出版社東京支社 編纂の『築地』。次回にくわしくご紹介します。

火事、震災、戦火……たくさんの苦難にさらされ、そのたびに、ものすごい腕力と人とのつながりと。人間の底力で立ち直ってきた築地のたくましい歴史が書かれてありました。(つづく)

Text : miho

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